森田の置きくすり 広貫堂 古くて新しい森田の置き薬を家族の健康管理に!

マスコミ取材記事&著書『富の山の人』

マスコミ取材記事

全国で45番目という狭い面積の県でありながら、なんと1世帯当たりの稼ぎは、全国トップです。日本で最も広い家(居住面積)に住み、持ち家比率も一番。女性の就業率が高く、平均勤続年数も全国一。高校進学率は全国1位で、東大合格者数もトップクラスです。

富山の置き薬商人(中略)
得意先に薬を預けて、自由に使ってもらうこと、 次の半年後に訪問したとき、使った分だけの薬代を頂戴すること、 薬を補充し、使われなかった分も新しい薬と入れ替えること、 肝必要の商売の仕組みについては、全然、変わったところがありません。 それが富山の置き薬、300年以上続く伝統ということになります。

置き薬の行商が生まれたのは、江戸時代も元禄年間となった富山藩においてです。このころの富山藩は一口に言えば、たいへんな貧乏な状況にありました。(中略)富山藩そのものが主導する財政再建事業として位置づけられ、世に出たのでした。

1000軒のお得意さんがいれば、それこそ1000通りの薬の置き方のバリエーションがあります。決して、機械的にセット売りをしているのではありません。

それぞれお得意さんとのお話のなかで何が必要なのか、これからの時期にどんなものがいるのか。常に相手を気づかって、薬を選択します。

優秀なセールスマンは、能弁な話し上手ではつとまりません。実際に成績を上げるのは聞き上手のタイプです。(中略)本当に望んでいるものを見つけられるかが、カギとなるわけです。

いつの時代でも、足を踏み外すのは他人に対する妬み嫉みや、おごりたかぶりが原因です。刹那的、短期的な隆盛を求めずに、「持続可能な経営」こそが大事であると伝えています。

コクヨの創業者の黒田善太郎氏。黒田氏は、故郷の富山をこよなく愛した事業家です。彼は1917年に、現在の社名の由来となる商標「国誉」と定めました。そこには「越中国(富山)の誉れとなるようにとの思いが込められていると言われています。

富山の置き薬
成功の7条件(中略)

「礼を尽くす」「売ろうとしない」「親戚づきあい」「研究熱心」「付加価値(+@)」「ルールを守る」「勝てる場所に行く」
はじめの5つが、お得意さんとの接点で生じる事項であり、最後の2つは、江戸時代以来の置き薬商人が、この商売を確かなものとするために実行してきたことです。

客に商品を預け、使った分だけの代金をもらう仕組み、これを富山では「先用後利(せんようこうり)」と言います。

著書『富の山の人』